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Let's コミュニケーション![第1回]
過剰敬語は「敬遠語」

-コミュニケーションの距離感-

 「お釣りのほう、351円になりまーす」
 
 コンビニの若い店員さんが言った。
 
 ぼくは店を出て手のひらの小銭を眺めながら、やっぱりおかしいよなあと思う。
 
 以前、消火器を売りつける訪問販売の詐欺師が「消防署『のほう』から来ました」と名乗っていたなんてニュースもあったけれど、「のほう」ってなんだよ。そして、351円になります、は「351円です」じゃないの?
 
 ぼくはテレビやラジオでしゃべる仕事をしながら若者の就職指導もしているのだけれど、模擬面接での自己紹介や質疑応答の際、慣れないことばづかいで失笑を買う就活生が多いこと。上に書いたような珍妙な敬語や丁寧語がアルバイト先などで刷り込まれてしまうと、矯正が困難なのだろう。よくファミレスやコンビニの店員が使うヘンなことばは、バブル期に“ファミ・コン語”と揶揄(やゆ)され、「これだから新人類は……」と団塊世代のため息を誘ったものだったが、しぶとく生き残ってしまったようだ。
 
 では、このファミ・コン語のルーツはどこにあるのだろう。
 
 多田道太郎というフランス文学者・評論家が1979年に出した「日本語の作法」というエッセーに次のようなくだりがある。
 

「空港待合室でぼんやりしていたら『お急ぎ七番ゲートへおいでください』ということばが耳についた。『急ぎ』という副詞にまで『お』がつくようになったかと、いささか感慨があった。(中略)『お出かけになられました』『ゴルフをなさいますですか』といった二重敬語は、どこでも聞かれるようになった。二重敬語を使い、二重敬語を聞き、人はそれを怪しまない。そういうふうになってきている。」(『日本語の作法』朝日文庫版より)

 
 1979年というと、日本はオイルショックを乗り越え、いよいよ戦後の文化・経済の爛熟期に入ろうとしていた時期。そのころ我々が使い始めた過剰に丁寧なことばがファミ・コン語のルーツなのか。多田氏は次のようにも書いている。
 

「敬語の敬は尊敬の『敬』である。同時に敬遠の『敬』でもある。(中略)上品なことばを、香水をふりかけるように、相手と自分のあいだにふりまく、そういう丁寧、上品の雰囲気が濃厚になってきた。人と人との距離は、こうして次第にひらいてゆく。」

 
 多田氏の指摘にならえば、現在のヘンテコ敬語・丁寧語は、丁寧な雰囲気をかもし出すためのアクセサリーでしかない。そこには相手への敬意どころか、相手との心理的距離を遠ざける“敬遠”の意図しか感じられない。ファミ・コン語、どころか“敬遠語”なのだ。
 
 敬語や丁寧語の使い方に悩んでいる皆さん。形にこだわって、結果的におかしなことばを口にするのではなく、相手の立場や気持ちに近づき、寄り添い、気持ちを込めてことばを選んでみてはいかがだろう。たとえ流ちょうにしゃべることができなかったとしても、相手に与える印象はとても気持ち良く、すがすがしいものになるはずだから。
 

コラムニスト:山本 耕一 氏プロフィール

山本耕一 氏
山本 耕一
[Kouichi Yamamoto]
1967年福岡県北九州市生まれ。
中学校時代、短波ラジオで世界中の放送を聴くうち「アナウンサーになろう」と決意。日本大学卒業後、テレビ長崎入社。「めざましテレビ」初代長崎リポーターなどを務め、2003年からフリーアナ。
現在は福岡のテレビ・ラジオにレギュラー出演のほか、アナウンサー・声優志望者の発声・コミュニケーション術・就職指導も担当。
気象予報士。家族は妻と2男。

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